NPO法人シェアラボ

誰かな不要は、誰かの必要


をモットーに、
シェアすることで物の循環を促し、
シェアで人と人を繋げる活動をします。

不要なもののニーズを開拓し、
ユーザーへ繋げます。

記事一覧(250)

0から1を生み出す力

自分の将来を冷静に考え且つ客観的に見ると、到底安泰だとは思えない。その大部分を占めるのは僕は【お金】だと考えている。例えば、その《安泰》とはどこから来るのか。そして、安心てどこから安心なのか。僕はそこを突き詰めて考えた。そしたら、行き着く先は“お金”でまとまる。あれがやりたいと思ったとき、必要になるのは【お金】。こう生きたいと思ったとき、必要になるのは【お金】。だけど、お金があるから幸せかと言われたら、それイコールではないと思うが、お金がない人ほどお金イコール幸せではないと考えがちだと思う。僕は、違う。圧倒的に、お金で得られる幸せが、この世には溢れている。そしてその幸せかどんなものなのかということを、僕は経験してみたい。だから、本業だけでなくどうにかして、自分一人でほんの少しでもお金を生むスキルを身に付けたいと考え、そして身につけた。そのお金は一気に増えるものでも数億円が手に入るものではない。だけど、本業以外でのほんの少しの収入というのは気持ちや懐に余裕をもたらしてくれるものである。年金か出るかわからない退職金は減る円の価値は下がるし値上げの品々は増えていくばかり。そんなのを【仕方ない】と考えるだけで行動しない人は現実においてけぼりにされていく。気づいているはず。今のままではダメなんだと。そして、自分に何ができるのかを人は教えてくれない。自分で0から1を生み出す何か、マネタイズできるスキルを身につけなければ《今の生活》すらも維持できなくなってくる。

お金を稼ぎたいわけではなくて。

日本人は特別、《お金を稼ぐこと》についてとても敏感だと思う。しかも、それはネガティブな要素で。誰かが何かで稼げばそれを妬み、揚げ足をとったり怪しんだりする。それが正当なビジネスや想いかあったとしても、“お金”という側面だけで判断して、なんか怪しいとかなんか変なことしているとか。全然自分には関係ないのに。僕はお金と向き合うことは、人生と向き合うことだと捉えている。だけど、僕がやりたいことは【お金稼ぎ】が一番ではない。一番ではないけど、きっと働き出してから誰もが身に染みていると思う。“お金が一番ではないけど、何をするにもお金が必要である”ということ。そこをどう理解するかが一番重要。お金稼ぎが一番に来ると、いいことになるわけがない。人間関係も、自分の人生も、やりたいことへの情熱も。特に人間関係なんかは一撃。自分がやりたいことのなかでお金が発生したら嬉しいことであるのは間違いない。お金は一つのモチベーションになりうると思うから。そして、それを例えばお客様とか誰かに、自分のやりたいことの対価としてお金を受け取る機会があるとするならば、余計にいい加減なことはできないと思う。だからこそ、自分のスキルや想いを昇華させて人様からお金を頂いても失礼ではないくらいなものを提供する必要が発生すると思う。お金稼ぎが一番ではない。だけど、やりたいことの延長にお金が発生して、人間関係やさまざまな繋がりも潤っていつのまにか人とお金が自分の周りにあったらそれだけで嬉しいのは人間の本質だと思う。

なぜ、ミニマリストでありたいと考えるか。

僕はなぜ《ミニマリストでありたい》と思うのか。そもそも“ミニマリストでありたい”と思っているわけではないのかもしれない。では、なぜ《物が少ない》生活をしたいのか。ここが大切だと思う。[物が人生を幸せにしてくれるわけではない』ということに気づき、物にお金をかけることをやめた。すると、今手元にある物たちがもたらしてくれる恩恵は何なのかを考えるようになった。いつ買ったかわからないいつ使ったかもわからないなぜそこにあるのかもわからない物だらけなことに気づいて、そしたら“無くても困らないよね?”と自問自答すると、ほとんどいらない物だらけなことに気づいた。感謝しながら手放した。置いてあった場所にスペースが出来た。一般的に人は、《空間を埋めることによって安心感を得る》生き物みたいで、その空いたスペースをまた新しい何かが埋めるようになる。けど、ミニマリストは違う。その感覚は、ない。空いたスペースはそのまま空けておく。そのスペースが出来たことで、なんか気持ちがスッキリした。この連続が、気持ちよかった。きっと、その感覚を継続したいからミニマリズムが続くのかと思う。たまに、自分自身を振り返る。なぜ、ミニマリストなのか。なぜ、物を少なくしたいのか。なぜ、好きな物だけを選ぶのか。ミニマリズムが与えてくれた恩恵は、本当に計り知れない。僕はミニマリズムを知って、ミニマリズムに気づけて、本当によかったと思う。だから、広めていきたいと思う。

好きなことを仕事にする。

僕が好きなことは、珈琲。最近の休みはもっぱら焙煎焙煎焙煎焙煎。自家焙煎ばかりしている。かれこれ自家焙煎を始めて4.5年ぐらい(?)最初はほんとに趣味の延長で珈琲か好きだったから始めてほんとに美味しい珈琲というものがわかってから楽しくて楽しくてずっと続いている。そこから変わった好きが趣味になって趣味が誰かを喜ばせることができるようになった。《好きなことを仕事にする》なんて誰もがわかってる最高なこと。誰しもがそうなりたいと思ってるし、そうなりたいと願っている。だけど、多くの人はそんなことできていない。働き出してから理想と現実の差ってものも必ずあるし。僕は珈琲を本業にしてはいないが、“多くの人に僕の珈琲を飲んでもらいたい!!!”と強く願うと自家焙煎のスキルも向上に繋がるしそのもの自体の理解をさらに深めることができる。お金稼ぎか一番の目的ではないここが一番大切だと思う。好きなことがお金になるならば、僕個人としてはどんどんやり方やアプローチをかえて稼ぎまくればいいと思う。日本は特に【お金を稼ぐ】ということに無頓着だったり卑しい考えを持っている人が多いけど、そんな考えは自分のやりたいことや形にしたいことをするにあたり関係がない。“お金を稼ぐ”という行為の難しさ。だけど、お金というものは自分が作った0から1のそのものの価値を感じることができる。簡単に言えば、売り上げが高ければそれほど誰かを満足させられているということ。お金稼ぎが一番ではないけど、その指標はとても大きなヒントになる。そのお金は、自分のモノサシにもなれるがそこで手に入れたお金をさらに設備投資や改善のために使うことができる。さらにレベルアップでき、お客様に届くときにはさらにレバルアップしているかもしれない。私利私欲が一番になってはお金に関しても卑しく感じるがそれを抜きにして“自分の思い”を重ねつつそのクリエイトしたものに乗せることができら自然と人が集まりお金が集まりやりたいことをさらに加速させることができる。好きなことを仕事にするそれが一番だが他の仕事をしながら好きなことを仕事に昇格することは絶対できる。そんなやり方を提案していきたいし、そうなれたら、きっと誰もがもっと楽しめる。

僕のやりたいこと

僕には夢ではなく目標があって、珈琲は無限の可能性があると考えている。1から作るお店作りはハイリスクすぎるし、今の時代、これからの時代にゼロからのスタートは時代に合わない。ほぼ確実に空き家が増えるだろうし、それを手放したい人も増えれば再利用してほしい人もきっと増えると思う。その空き家(早島内がベスト)を業者を頼らずに友人や繋がりのある人たちに協力してもらってリノベーションして、喫茶店を作る。そこには、珈琲の焙煎所も併設させる。珈琲は淹れるとこはかりが目立つが、実は淹れるまでにいらいろな行程をクリアしていく必要がある。その作業はすごくすごくシンプルだが根気のいる作業がある。その作業を、障がい者の方を雇用するのもありだし、早島にお住まいの元気な元気なお年寄りの方々に雇用という形で行なってもらう。ノルマも拘束時間も特にない。やりたい時間にやりたいだけやって大丈夫。作業は誰でもできるほどのこと。だけど、その““場””に人が集まってコミュニケーションが生まれて、楽しい時間となる。そこで作業をしながら出来た豆を焙煎して、喫茶店に出すもヨシ、お店に卸すのもヨシ。その作業のお陰で美味しい珈琲もできるし、わずかながらお給料も払うことがてきるし雇用もてきるし、喫茶の経営もできる。なんなら、早島で経営するならそこに住んでおられる方々に運営を頼んでもいいくらい。僕の焙煎した珈琲を飲んでもらいたいのもあるが、一番は【人が集える場所】を作りたい。そこに僕の珈琲が《時間を一緒に過ごす》お供になれたら、最高だ。そんな場所を、作りたい。今の僕の時間は、将来に向けたその時間だと思う。だから、今焙煎を依頼してくださる方々は本当にありがたいし、そのお陰で焙煎技術をあげることがてきるし、その方々のお陰で少しずつ広がっていく僕の珈琲がある。これは、夢ではなくて目標だから、達成することは可能だと思う。

誰かの好きを追求してみた

僕の身近な人が““これが好き””って言ってるものがある。それはなんでもいいんだけど、ふと思った。《その“好き”が、自分の手で作れたら楽しくなる気がする》ちなみに、その“好き”って言うのが以前から【餃子】を言っていて、外食のときも餃子だったりどっか県外におでかけしたときにお土産に餃子をお願いされたりしてそんなに餃子か好きなのかと思っていた。確かに、美味しい。それに、あまり嫌いな人を見たことがない。その餃子。ついつい買ったりしがちだけど、“自分の手で作れたら楽しくなるかも”って思った。で、皮から作ってみた。やってみたら意外と簡単で、そして、美味い。何より、やってみてわかったことは【自分は手間をかける料理が好き】ってことだった。粉から調合して、練って、寝かせて、形作ってみたいに工程が全然めんどくさくなくてむしろめちゃめちゃ楽しかった。前々からうどんとかお蕎麦とかを手で打ちたいと思っていたけど、やっぱり興味があるだけあってめちゃめちゃ惹かれてる自分がいた。結果的に美味しくできたし量はものすごく多いし、まだまだ上達できそうだし、ワクワクしてきた。もっとレベル上げてみたい。人に振る舞えるぐらいに誰にでも美味しいと言われるような餃子を作れるくらいにレベルあげようと思えた。誰かの好きを自分の手で作れたら、こんなにも楽しいことに気づけた。